歯科衛生士業務控 エピソード1

平成27年7月6日(月) 東愛知新聞掲載

私は豊橋市の歯科医院に勤務する歯科衛生士です。歯科衛生士になって早や20年、ベテランと言われる年齢ですがまだまだ日々迷う事ばかりです。毎日が単調に思われがちな歯科診療所の仕事ですが、時として心に残る出来事やささやかなドラマも起こります。今週から3回にわたり私の勤務する歯科医院で起こったそんな何となく心を動かされた出来事をご紹介したいと思います。まだまだ歯科衛生士の仕事についてはあまりご存じない方も多いかと思いますが、歯科衛生士ワールドの一端をご覧いただきご理解の一助になればと思います。歯科衛生士の仕事は大きく分類して「歯科予防処置」、「歯科診療補助」、「歯科保健指導」がありますが、共通して大切なことは患者さんに寄り添う心です。仕事に興味を持った方は豊橋歯科衛生士専門学校のオープンキャンパス(7/23、7/30、8/20開催)に是非ご参加ください。歯科衛生士ワールドの全貌がわかるかもしれません。  
 患者Mさんは80代後半の女性、診療開始時間の30分も前から突然来院の急患です。急患なので院長に代わりとりあえず私がお話を伺うことになりました。カルテを見ると前回の来院は20年前、上下とも総義歯を新しく入れた記録が残っていました。浴室のタイルの床に落として下の義歯が割れてしまったとのことで、「どこも悪くなかったのに、ああ、ばかなことをした、どうしよう」とかなり自分を責めて取り乱していらっしゃる様子です。ティッシュに包まれた真二つに割れた義歯は歯石がかなり付着し、人工の歯もすり減った年代ものでした。若い頃の自分だったら、たぶんすぐ新しく作ることを提案しついでに義歯の汚れを指摘しその清掃方法の指導などを最初にしたでしょう。しかしその時はMさんの気持ちが痛いほど伝わってきました。外見は古くなって汚れた義歯ですが、Mさんにとっては体の一部だったのです。体の一部を失って狼狽する人間に向かって「新しいものを作らないといけません、古い方は汚れが目立つのでもっときれいにしなきゃダメ」とは言えません。まずは復旧です。通常20年も同じ義歯を使うことはめったにありません。きっとMさんなりの方法で大切に扱ってきたのでしょう。その義歯を尊重するという治療方針です。  
 院長もそばで聞いていて私と同じ考えだったようで、応急的に割れた義歯を接着し、ついでに義歯のクリーニングもして、安心したMさんは何度も頭を下げて帰って行きました。その後新しく上下の義歯も作成しましたが、新義歯調整のための来院日にお口の中に入っていたのは応急処置した古い義歯でした。それを責めることは院長も私もできませんでした。それから数か月でMさんの訃報が届きました。アチラには新旧どっちの義歯を持って行ったのでしょうか。
 得る物より失う物の方が多くなった私くらいの年代になって初めて見えることもあると気付いた出来事で、歯科衛生士にとって年齢を重ねることは悪いことだけじゃない気もしました。冒頭にも書いたように、歯科衛生士にとって一番大切だと私が思うこと、それは「患者さんに寄り添う心」だからです。